僕ももう博士論文の審査をはじめて七年目です。その間の実経験から、なるべく穏便に博士論文の審査を学生さんに通過してもらう為に気をつけてもらいたいことをいくつか抽出しました。以下、非常に個人的な意見であり、また、おそらくうちの大学のうちの専攻のそれも理論にしかあてはまらない話ではありますが、同じ過ちが何度も繰り返されるので、書かずには居られなくなりました。ご意見のある方は、お知らせください。(2019/1/11;2/20に軽微な修正;2021/4/6に同意承諾書について追記)
ポスドクになるにせよ、社会にでて会社勤めをするにせよ、博士号をとるかとらないかということは人生に影響を与えます。ですから、なるべく簡単かつ穏便な方法で、博士号をとりましょう。博士論文の目的は、博士号をとることにあるのであって、それ以上では決してありません。
そんな形式的なことじゃなくて、研究がしたい? じゃあ、博士論文をなるべくさっさと書いてしまってから、ふつうに研究をやって、論文を書きましょう。学生のあいだの研究の総まとめをしたい? じゃあ、博士論文をさっさと書いてしまってから、別個にレビュー論文でも執筆してください。今後の研究の方向性を模索したい? じゃあ、博士論文をさっさと書いてしまってから、新しいことをはじめてください。既出版論文は博士一年の時のものだから古い気がする? そんなことは気にすることはありません。学生の間にしたことであればルール上よいのです。博士論文をさっさと仕上げて、新しい研究をしてください。
とにかく、博士号をとる以上のことを、博士論文にもとめるのはやめましょう。僕は何人もの学生さんが、新しいことをはじめようとしたものの、締切までに満足行く形で仕上がらなかったため、大変なことになったのを目撃してきました。
既出版論文に基づくと非常に安心です。学術雑誌なんか時代遅れだ、と思うかも知れません。僕もそう思います。しかし、論文が出版済みだと、審査会でも、なるほどこの内容はあの雑誌に通っているのか。となります。これだけで、随分雰囲気が良くなります。また、どうせルール上、博士論文の内容はいずれ出版公表の必要があります。手間を増やす必要はありません。既出版論文を使いましょう。
その為には、博士課程の間に arXiv に論文を出したら、きちんと雑誌に出版しておくことが重要です。うちの業界だと arXiv に論文が出ればそれでよいという風潮がなきにしもあらずですが、複数人いる審査員の方々全てがそう思ってくれる可能性はありません。出版しておきましょう。
ときどき既出版論文を沢山組み合わせて長大な博士論文を提出する人がいます。これは審査員としては読むのがとても大変になります。学生さんとしても準備が大変です。審査会でも結局ひとつかふたつの既出版論文の内容の話をする時間しかありません。お互いの労力を減らす為に、あまり沢山組み合わせるのはやめましょう。
博士課程の間に二つテーマをやったのを自慢したいひとも居るかも知れません。がんばりましたね。偉い。でも、書くのも大変だし、読むのも大変だし、審査会ではひとつのテーマを話すので精いっぱいでしょう。一つのテーマに絞ってください。
レビューパートは慣習上(またうちの専攻の場合は規則上)必要とされているので書きましょう。しかし、あまり綿密なものを目指さないようにしましょう。まずは、最低限必要なものを書き、全体を整えた上で、しかも締切まで時間があるのでしたら、レビューパートを追加しましょう。レビューパートを気合をいれて時間をかけ過ぎたため、全体の調整がおろそかになって、困ったことになったケースも時々あります。
全体の調整はきちんとしましょう。単に自分の以前の複数の論文からコピペを並べたので、introduction が何度もあるとか、"one of the authors" とか、同じものが場所によって異なる記号であらわされているとか、同じものが同じ記号で書かれているが複数回定義が繰り返されているとか、よくあります。
別にこんなことは人類の科学を進歩させるにはどうだっていいのです。しかし、あなたは博士号をとる必要がある。そうして、以上のようなあからさまなミスがあると、審査員に審査会中に攻撃するスキを与えます。審査員にとっても、実際の論文の内容を云々するよりも、そもそも体裁が整っていないことを指摘するほうが簡単なのです。集団心理もありますから、一人二人の審査員が体裁に文句をつけはじめると、みんなやりはじめます。ですから、お願いだから、体裁を整えておいてください。
どこがどのように新しいのかも、ぱっとわかるようにしておきましょう。審査では、学生さんが学問にどのような新しい寄与をしたかを判定することになっています。既出版論文ではそれがわかるようにかいてあっても、レビューパートをつけくわえることでわかりにくくなることがよくあります。そうすると審査員への心象がわるくなります。
すくなくともうちの大学では、共著論文をもとに博士論文を書く場合は、共著者に、「その共著論文をあなたの博士論文の材料にしてよい」旨の承諾書を書いてもらって、博士論文と一緒に提出する必要があります。サインもしくは捺印した実物が必要か、スキャンした pdf で良いのか等を確認して、なるべく早く送ってもらいましょう。
これは本文を書くのとは独立に出来る事です。共著者もいろいろと他の用事があるので、後回しにせず、早めに頼みましょう。本文がほぼ出来てから頼んで、速達が海外から届くまで肝を冷やした僕のようなことにならないでください。
みなさん締切直前に頑張るようです。僕だってそうでした。しかし、締切直前にインフルエンザにかかったらどうしますか? おしまいです。締切の一週間前に一応提出できるものが出来ているのを目指してください。残りの時間は推敲につかいましょう。
完成までどれくらい掛かるかを自分で認識しておくために、次のことをお薦めします。締切より充分前に、出来れば書きはじめた際に、一週間ぐらい掛けて、全力の八割ぐらいを出して書きつづけてみましょう。そうすると、自分が一体どれぐらいがんばればどれぐらいの量が書けるかが測定できます。そうすると、締切のどれくらい前からどれくらい頑張ればよいか、予想がつきます。
また、締切直前にはストレスがたまっていて普段ならしない操作をしてファイルをダメにしてしまうこともあります。パソコンが機械的に壊れることだってあります。せめて最低限、Dropbox などクラウドサービスをつかっておきましょう。
審査員は教員ですが、その中にも年齢の開きは三十年ぐらいあります。個性の違いも大きい。ですから、それぞれの審査員が当然学生はこう振舞うべきだと思っていることの間には大きな開きがあります。
「当然」印刷して持ってくるべきだと思うひともいれば、印刷するのは紙の無駄だから「当然」 pdf を送るだけでよいと思うひともいます。「当然」手渡しすべきだ、「当然」学内便でよい。面とむかって説明するのが「当然」だ、学生を呼びつけるのは大人同士として失礼にあたるから「当然」来なくて良い、等々。
学生さん自身の主義もあるでしょう。でも、あなたの目的は今回博士号をとることです。各審査員の前で、それぞれの審査員が穏当だと思うように振舞いましょう。