研究と勉強ってどう違うのでしょう

これも大学院に興味のある人からよく聞かれるので、ここに一通り思ったことをまとめておきます。対象は大学生ぐらいのつもりです。僕の非常に主観的な話なので、書いてあることをあまり信じないで、他の人にも話を聞くようにお願いします。また、ここでいう研究は、僕のやっているような研究に関してですので、理論物理でも他のひとなら違うでしょうし、実験なら全然違うと思います。また、雑然としておりますが、悪しからずお願いします。(2014/9/30)

勉強

まず、勉強ならこれを読んでいる方ももうある程度は知っていると思います。講義に出て、それを理解して、時々レポートを書かされたり、テストを解いたりするわけです。高校生の間は、だいたい文科省の決めた内容を勉強しているわけですが、大学生になると、必修の授業は大学の各学部が決めたものを勉強して、それに加えて、いろいろ提供されている選択科目から選んで講義を受けられるわけです。さらに、それに加えて、友達と、自主的に教科書を読むゼミをして勉強をする人もいるのではないかと思います。

テストの点の善し悪し、単位がとれたかとれなかったか、自体が自己目的化しているひともいると思います。が、なるべくそういうことは忘れて、学びたいことについてやりたい勉強をして、自分がそれを理解したかどうか、というのを問題にしてください。

また、理解したかどうか、というのは、心の奥底で深い理解が出来たか、ということではなくて、与えられた問題に対して、手もしくは計算機を動かして、答えが求められるか、ということです。まあ、深い理解が出来れば、計算も出来るでしょうから、計算ができないということは、深く理解していないということでしょうが。

また、基本的なことを理解できていないのに、先のことばかり勉強したつもりになっている人や、その逆に、もう十分理解しているのに、大学の講義はここまでだから、と、大学院の受験勉強ばかりしている人も見かける気がします。あるテーマに対して、自分が十分理解して、計算出来るようになったら、次のテーマを勉強すれば良いし、そうでなければ、まだそのテーマを勉強したほうがよい、と思います。

また、理論物理をやっていると、使われている論理がいい加減だったり、もしくは、数学の専門書で使われている記法と異なるので、気になる人もいるかと思いますが、そこは(数学者にならないのであれば)我慢して進んで下さい。理論物理屋になって、同僚と会話するには、やはり適度にいい加減で、数学の本でなく理論物理の本で使われている記法を使わないと、話は通じません。物理と数学と勉強しているのは、中国語と英語と勉強しているようなものです。折角両方勉強しているのに、中国にいったときに、英語でばかり話をするのは、困ったひとです。

もうちょっと勉強

理論物理、特に場の量子論をやろうと思うと、このあたりで一つの問題に出くわすことが多いです。まず、高校では古典力学を多少やったと思いますが、大学になって、「古典力学はちょっと嘘だった。本当は相対論なのだ」もしくは「本当は量子論なのだ」と来ますが、これはあと数年するとあなたを襲う現象の第一歩です。

この場合はちょっと嘘を教わったのを明かされるまで数年ありましたが、似たようなことが繰り返します。半年前に習ったことが、実はちょっと嘘だった、本当はこうなのだ、と言われるようになり、場の量子論の教科書などになると、教科書のはじめの 1/3 ぐらいで学んだことが、つぎの 1/3 で実は嘘で本当はこうだ、と書いてあり、つぎの 1/3 で実はそれもさらに嘘で、本当はこうなのだ、と書いてあることはざらにあります。

なぜこんな事態になったのかはよくわかりませんが、事実なので仕方ありません。兎に角、書いてある議論をあまり鵜呑みにしない、あまり無理に変な議論を納得しようとしない。しかし、そこに書いてあることは計算できるようになる、という鍛錬が必要です。まあ、教科書だって人が書いているのですから、全般的に信頼してはなりません。

勉強のテーマを絞る

また、世間では学際とか、見識が広いことがもてはやされていていることもありますし、皆さん興味の広い人も多いですから、あれもこれも勉強したい、というのはあると思います。大学院に入るぐらいまではそれで全然構わないと思います。しかし、大学院に入ってなにか研究をしたい、という段になると、まずは、何か自分のやりたい研究分野で、最先端の論文が読めるぐらいにならないと始まりません。二つの分野を同時に勉強しようとすると、最先端に辿り着くまでの時間は倍かかります。一つの分野の中でも、さらに特定のことだけ徹底的に勉強することにすれば、先端まで来る時間は短くて済むわけです。

ですから、まずは、専門バカになるぐらいのつもりで、自分の興味を限定して、特定のことを勉強するのを僕はお勧めします。まずひとつ、とても狭い分野でも最新の論文が読めるようになると、先端に来るには自分がどれくらい勉強しないといけないか、がだいたい判ります。その時点で余力があれば、他の分野も勉強すればいいのではないか、と、僕は思います。興味が沢山あるからと目移りして、専門バカにも成れずに終わってしまっては、悲しいことです。

すこしずつ研究もはじめる

さて、大学院に入っても、はじめのうちはあまり変わりません。標準的な教科書を読んだり、講義を取ってレポートを出して、というわけです。しかし、一年もすると教科書がなくなって、レビュー論文や、原論文を読んで勉強することになります。いずれ、この数年以内に出版された論文が読めるようになります。

この段階で、何か具体的に自分の研究したいことが決まっていると素敵です。研究とは何か、僕も未だにはっきりとはわかりませんが、ここでは、教科書を見ても他の人の論文をみても載っていないことを考える、ということだとしましょう。一方で、他人の論文を読んで理解する、というのは、僕は勉強だと思います。

さて、この段階で何を具体的に研究したいか、テーマが決まっていなくても、幸い理論物理の論文は案外適当なので、論理にギャップがあることがしばしばありますので、それを埋めようとすることが出来ます。また、既存の論文の設定をすこし弄って、ちょっと違う状況にしてみて、考えるということもできます。これらは、別に大したことではありませんが、上の定義に照らせば研究と言えると思います。

以上のような大したことのない研究をする重要性は案外あると僕は思います。というのは、教科書がなくなってくると、練習問題が載っていません。すると、計算が出来るかどうかを試してみて、自分の理解を確認する、ということが、なかなか出来ません。既存の論文の式変形をひとつひとつ綿密に追えばそれでもいいのですが、つい、著者のいうことを信頼しがちになってしまいます。そこで、ギャップを埋めたり、すこし違う設定で考えてみると、自分なりに考え直す、計算しなおすということが出来るわけです。その過程で、いままで判ったつもりだったことが判っていなかったことに気付くこともしばしばです。これは文句無く良いことです。

さて、そうは言うものの、正直、偉大な先達の偉大な論文を勉強して理解を深めるほうが、自分の大したことのないテーマを研究するよりは断然面白い、ということもよくあります。新しくはあるけれど詰まらん論文ばかり量産している人より、重要な既存の研究を深く理解してる人のほうを評価すべきだと僕は思います。が、世の中そうはなっていません。なぜこんな事態になったのかはよくわかりませんが、事実なので仕方ありません。まあ、ポスドクを雇う立場からすると、地球の裏側のあったことの無い学生さんで、研究結果は論文としてほとんどない人が、実は深くいろいろ理解していることなんて知りようがありませんから、ある程度は仕方がないことではあります。

ですから、大研究をはじめからしよう、とか、研究って慣れないからもうちょっと勉強を続けよう、というのではなくて、小さな研究からはじめて、英語で論文にまとめて、雑誌に通す練習をする、というのは重要だと思うのです。ずっと屑論文ばかり書いたらダメではありましょうが、最初のうちは誰も文句はいいません。また、将来誰かが似たような研究をする際に、小さな計算でも、参考にしてくれるかもしれません。

さて、その誰か、というのは、えてして未来の自分です。十年以上ずっと研究をすると思って下さい。大学生のあなたが、十年まえに何をやったか覚えていますか?しかし、十年前の自分の結果を研究に利用するなんてのはしばしばあるわけです。こういうときに、手書きの計算ノートをきちんと保存しておける人ならいいですが、そうでない僕なんかは、出版された自分の論文を参照して仕事が出来るわけです。ですから、小さなことから、論文にして残しておく、というのを、おすすめします。

研究をはじめたあとの勉強

研究をはじめたといっても、勉強をしなくなるわけではないです。何か考えたい問題を解決するためには、いろいろ道具がいるわけですが、それを身につけなければいけません。それは、自分の分野の原論文をいろいろ読んで理解する、ということだったり、すこし隣の分野の教科書を読む、ということだったり、パソコンの新しいツールの使い方を学ぶ、ということだったり、スパコンの使い方を学ぶ、ということだったりするわけです。

正直、学部の頃にまなんだ何が役に立ったか、というと、特にこれといって具体的にあげるのは難しいです。数学で、こういうことを弦理論で使うのかな、と噂に聞いて、齧った分野もありますが、それはかえって使ったことがなかったりします。むしろ、もっと一般的に、解決したい問題のためなら、必要な道具は何でも数ヶ月から半年かけて学んでやろう、という、根気が重要なように思います。

しかし、こうやって勉強をすると、新たな知識をいろいろ得られるので、面白く、そればかりやりがちになるのですが、そこを踏みとどまって、(大したことはないが少なくとも誰もやったことがない)自分の研究もやるようにしないといけない、というのが難しいところです。