弦理論をやりたいのですが、という学部学生さんから時々話しかけられるので、いくつか注意を書いておきたいと思いました。以下、弦理論というのは、こちらでかいたような研究全般をさした略称だと思ってください、必ずしも弦の研究そのものではありません。(2024/6/12改訂)
分野において、何か大きな発展があった直後というのは沢山やることがあって沢山のことが一気にわかります。弦理論においては、1984年の「第一革命」、1994年の「第二革命」、1997年の「AdS/CFT革命」の三度大きな画期がありました。今はそれはおさまってある意味静かな状態です。重力の量子化とは何か、等の未解決の大問題は勿論まだまだありますが、それ自身に直接挑戦するのは困難ですし、僕は大問題を解くこと自身に興味があるわけではありません。みな、各自考えたいことを好き勝手にじっくり考えている状況だと思います。
別段僕はこれは悪い状況だとは思いません。数学の整数論などは20世紀はじめくらいからこういう状況だったんではないでしょうか? 分野に歴史ができたということをあらわしているだけではないかと思います。
(再改訂の際の追記ですが、あとから考えると2006年の笠-高柳の論文によって、量子情報的考えが弦理論に導入され、その後の弦理論の研究に大きな変化があったと思います。しかしはじめの三回の革命ほど直後に爆発的な発展があったというものではなかったように思います。静かな第四革命だったとは言えると思います。)
個人的には、いまはトポロジカル物性と弦理論の絡みに興味があって研究しています。それ以外にも、弦理論に関して、僕が知りたいこと研究したいこと誰かに解き明かして貰いたいことは沢山あります。
日本の素粒子理論の職は非常に逼塞しています。たとえば 2015 年時点の調査ですが、この記事を読んでください。また、2021 年時点で 2007 年ごろ以降に素粒子論で博士号を取った人の網羅的な調査がこのブログ記事にまとまっています。10年ぐらいポスドクをしたところで、半数ぐらいが(任期付きもしくは海外を含め)助教以上の職をとっているという感じでしょうか。 これは、今からこの分野をはじめて、将来的に日本で研究職を得ようと思っている学生さんには知っていてもらわないといけないことです。
これは日本以外に職がないということではありません。たとえば、中国では最近いろんなところが日本人を含めてスタッフを雇っているので、狙い目かもしれません。
また、理論物理でも素粒子論以外はもうすこし職の状況はましなように思います。 物性理論や、量子情報ですと、もっと職が沢山あるように思います。
また、上記の統計は物理側の弦理論をやった場合で、数学側で弦理論に関する数学をやって博士号をとったあとの就職状況は僕にはわかりません。情報のある方は教えてください。
こういう状況ですから、学生の間は日本で弦理論でとてもよい研究をして、博士号をきちんととった後は、アカデミア外で就職するというのが普通の選択のように思います。行き先としては、IT 系企業、金融、ベンチャー会社などが多いです。官庁というケースもあります。僕の周りの実例をみていると、数理的な能力に長けている人は最近は社会からもとても求められているようで、弦理論で博士号をきちんと取れるような方で、アカデミア外に就職先が無くて途方に暮れているというケースは稀だと思います。
というわけですので、弦理論をやりたい、という気持ちより、博士号取得後も長期的に研究を続けたい、と思う人は、日本でやりたいならなるべく他の分野を選んでください。きっと他にもいろいろ面白い話題があります。また、弦理論をやりたいなら、少なくとも長期的には日本にいることをあきらめてください。
僕個人は、弦理論は大好きです。その精妙な構造は、僕を魅了します。とりあえず、大学院の五年間をかけていろいろ勉強して、研究にも参加してみたい、というなら、とても面白い内容だと思います。しかし、その後も日本でずっと研究をつづけたい、という人には、ちょっとお薦め出来ないと思っています。 一方で、修士課程と博士課程の数年をかけて、自分の知りたいという欲求を満足させ、きちんと博士号をとって、その後アカデミア外に就職するというのは悪くないのではないかと思います。もし、その数年間で、もしかしてもしかするとアカデミアに残れそうだとわかるかもしれません。その場合は、その時点でアカデミアに残る決断をすることも出来るわけですし。