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大学院入学ガイダンス用、メッセージと FAQ と
大学院入試ガイダンスに際して、毎年定番の質問があり、そしていつも通りの答えを返すという儀式を繰り返しています。ここに書いておけば、その時間をいくらか節約して、定番以外の内容の懇談に時間を多く割けるのではないか、というのがこのページの趣旨の一つです。また例年のガイダンスでは多くの人に対応しないといけないので、ここに書いている内容の半分以下のダイジェストでしか質問に答えられていません。だから私としては誠意を尽くしていないという感覚も引きずっていて、残り半分をここに書きとどめておきたいという側面もあります。(あるいは、本当は聞きたいんだけど聞くのをためらう系の質問もあるかもしれません)
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入試ガイダンス、研究室訪問など
かつて、ここに物理学専攻入試ガイダンス@本郷や Kavli IPMU open house @柏などの入試ガイダンス案内の文章を載せていました。それに相当する内容が IPMU 公式ページ内に準備されたことに伴い、その内容はここから省きます。 (このページです)
大学院の志望先選びは、キャリアに小さくない影響を及ぼします。資料やイメージ、評判、web 上の資料だけで分かったことにするのでなく、いくらかでも関心のある分野の教員には直接会いに行って話をする機会を持つことを強くお勧めします。少なくない「何か」を感じるはずです。 例年、物理学専攻の入試ガイダンス(5月)と Kavli IPMU の open house (6月)の2回、教員との個別懇談の機会があります。ご活用ください。
また、もっと踏み込んだ準備をしてきた方には、それでは十分な機会とならないかもしれません。
実際、私自身が4年生だったときは、物理教室の年次報告書や雑誌記事を(*)読んだりしながら考えて several 個の質問を準備して、何人かの先生のお部屋にお邪魔しました。質問をはじめるやいなや、自分が準備してきた質問がほとんど的外れだったことに気づいて大慌てで追加の質問をひねり出した、、、。 というわけで、そういう気合の入った準備でぶつかってくる方には、上記2回の機会とは別に個別に時間をお取りすることもあります。ご相談ください。
なお、この FAQ などで十分でとくに聞くべきことが思い当たらないという場合には、出願前の事前挨拶は不要です。私に関する限り、それで入試の合否判定において不利な扱いを受けることは全くありません。口述試験の際にお会いすればこちらとしては十分です。
(*) 下調べの材料として、一般向け啓蒙系のものにしか当たらないのはお勧めしません。とは言っても、業界の流行に敏感になることを4年生に推奨しているわけではありません。プロ向けに書かれたものの場合、読者の批判的検討・吟味にさらすように書くことが作法であり、無難でおいしいところだけを提供することをしていない(はずだ)からです。ふんわりとしたキーワードとイメージだけではなく、日々実際にやっていることもいくらか感じ取れるはずです。ですので、理解不能で意味不明であることは承知の上で、プロ向けに書かれたものを少しは視野に入れておくことを勧めます。
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どんな研究をやっているのですか?
私は xxx をやっています、と使い古されたキーワード xxx で応えることを私はあまり好みません。正確に言うと、キーワード xxx 1つをもって分かった気になられることを好みません。だって、そんな上っ面の情報だけで今後5年間の使い方を決めてはマズいでしょう?
同じ素粒子理論や弦理論といっても研究者一人ひとりによって、テーマ、興味、スタイル、アプローチなどがいろいろと異なります。
なお、弦理論・一般抽象場の理論分野の中に、もう少し細かい研究のジャンルというべきものがあって、一人の研究者で全てをモノにするのは不可能に近いです。志望教員選び=ジャンル選び、と短絡するのはまずいと私は思いますが、度外視できない気持ちも分かります。IPMU の立川さんの web page で、どんなジャンルがあるのかということが簡単に解説してあります。独立した研究者なら自分自身の分野の見取り図を持っているものですし、それは時とともに変わっていくものですが、大学院入試ガイダンス前の初期フォーマットとして使うと便利だと思います。
私自身に関しては、下調べの材料を ここ で提供しています。意味不明の専門用語がいっぱいでしょうけども、実はあと1--2年勉強すれば理解できる程度の話ですから、それにはビビったり思考停止したりしないことをお勧めします(きちんと理解するには1-2年かけるしかない事柄でもある)。専門用語に囚われたり目を奪われたりせず (適宜、お団子理論とか南瓜コンパクト化とか読み替えたりして)話の筋を追うなら、思考回路や問題に切り込んでいく様は読み取れるでしょうし、それに対して戸惑いを覚えたり、その戸惑いを温めてみることもできるでしょう。
大学院での目標は何でしょう。さらに専門的な内容を学ぶこと? xxx 分野の研究(者)の世界に身を置くこと? それとも新たな世界を切り開く過程の機微を探求することでしょうか? あるいは大学の先生になるため? これらはすべて異なる目標です。どこに目標の重みをおいているかによって、入試ガイダンスの際にぶつける質問もかわってくるでしょう。
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研究への導入(指導方針)
多くの場合、私が実質指導の役割を担う学生さんには、修士1年の後半くらいから、私の手持ちの研究プロジェクトのうちどれか一つに加わってもうらう形で研究に入っていってもらいます。自分の実力でできる範囲がふえるにつれ、共同研究プロジェクトの中で私が手を出す割合を徐々に減らしていきます。さらに余裕が出てきたら(統計的にはレアケースですが)、独り立ちして論文を書いてもらったり、あるいは別の教員と話をつけて、視野や守備範囲が広がるよう取り計らったり。一人一人の学生さんの成長段階を見ながらやっています。また、同じ手持ちの研究の系統の中でも、可能な範囲で個々の学生さんの特長を活かせる方向へと(本人と相談しながら)舵を切っていきます。より深さ高さを求める段階なのか、幅を広げた方がいいのか、個々の学生さんの成長段階を見てもいます(院生時代に追究すべきは幅より高さだと私は考えていますが)。
自由放し飼いを認めない、という趣旨ではありません。人と仕事する経験より自分で好きにやった方がいい、というタイプの人はいますから。ただ、それなら最初から放し飼い方針の教員を指導教員に選んで入学してもらった方が全体最適だろうとは思います。
私が提供できる手持ち研究プロジェクトの選択肢が複数ある場合には、その中から自由に選んでもらいます(こちらをやった方がいいよとアドバイスすることはあります)。こちらの研究運営の余力上、選択肢を一つしか提示できない場合もありますが、それが予測できる場合には、入試ガイダンスの段階でそれは明示しておくべきことだと私は考えています。
このような指導方針(院生とのかかわり方)を私が採っているのは、以下のいくつかの理由です。
第1に、自分が今夢中になって考えているテーマから少しでも離れると、私は気の利いたアドバイスができなくなってしまう。第2に、ビギナーでも簡単に手を出せる研究ネタを切り出してくることが私はあまり上手ではないこと。その自分の性質を踏まえたうえで、自分に可能な方法の中で学生さんが一番伸びる方法をとっているつもりです。第3に、研究のネタを見つけることはキャリアを積むほどに簡単になってくるので、キャリアの一番最初からそこに挑んで苦しむことはやや無駄な努力であること。そして最後に、私自身は過去に研究分野を少しずつ変えてきているので、将来私自身も自分の学生も分野が変わっていって違う道を歩むだろうと思っていること (つまり自分のコピーを量産するという心配がない)。私のキャリアの軌跡が学生さんの軌跡と最初の数年において接線方向を共有して、それで彼らのキャリアが boost されるなら、それでいいではないかという考えです。
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2024年夏の国内向け (2025年4月入学) 大学院入試での受け入れ予定
Kavli IPMU では、シニア教員と助教がセットになったような「研究室」体制を取っていません(少なくとも素粒子理論分野では)。私自身の実力からすると、この状況で平均一年に一人のペースで大学院生を受け入れると、一人ひとりときちんと向き合う余力を確保できなくなります。例外は発生しうるものの、直接担当できる学生は最大4人まで、が現在の私の目安です。
2024年夏の入試では、もしご縁があれば、一人受け入れを検討することになるでしょう。
このところ私自身の研究テーマが弦理論の中ではわりと数学寄りになっている、、という状況は
お伝えしておくべきかもしれませんね。
私の現在の手持ちの研究テーマは、 上記のページ 内にあげた3つですが、3つ目のハドロン散乱にかかわる研究は、ここ数年手が回らなくて開店休業状態です。興味関心を分散しすぎると何も達成できなくなるので。それ以外の2つが十分に重いテーマなので、今後2-3年の内にそれ以外のテーマに手を出す余裕は多分なさそうです。
参考までに、私が直接担当することを想定した受け入れ余力、過去の実績:
x: 余力なく受け入れ謝絶、o: 余力あり(合格者なしを含む)
国内向け: 2023夏 o, 2022夏 o, 2021夏 x, 2020夏 o, 2019 夏 x, 2018 夏 o, 2017 夏 o,
海外向け: 2023暮 o, 2022暮 o, 2021暮 o, 2020暮 x, 2019 暮 x, 2018 暮 x.
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弦理論を活かして現実の世界の物理をやりたいのですけど
大学院入試ガイダンスで私に聞かれることの多い質問の一つです。いつか、書き足します。来年?
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弦理論と数学の境界領域/両方をやりたいのですけど
一つ屋根の下に
IPMU は、弦理論の研究者と数学者が一つ屋根の下にいることを謳い文句の一つにしています。そしてそれは文科省が指導力を発揮した政策の帰結でもあります:研究者たちよ、分野境界融合型の研究にもっと積極的であっていいんでないかい?と。ですが、その施策は研究者としての基礎訓練をすでに済ませた人たちを主に念頭においたものである、という文脈は視野に入れておいたほうがいいように思います。
研究者を取材者から区別するのは、何かある一点において世界の誰よりも深く鋭く緻密に考えている、ということです。そのためには、幅広さはある程度捨てないといけない。片方がもう一方よりよい、ということではないですが、別物ではある。大学院・研究機関では、研究をするための研鑽をすることを想定していますから、まずはどこか一点において専門家としての立ち位置を確保することを推奨しています。それ自体が容易なことではないですから、最初の段階では、既存の分野の練り上げられた方法論や思考様式といった型を身につけるという方法を取るのは至極合理的なことです。型を破り、そして型から離れていくのは、その後の段階にまわしても差し支えないということですし、型を墨守せよということでもありません。
現実問題として、大学院の標準的な5年という期間の間では、そういった型を高い水準で身につけ、かつ基礎知識の蓄積ををすすめる、という段階でいっぱいいっぱいになることが多い。東大の大学院にあっても、なお余裕があるという院生の割合はさほど高くありません。ですので、大多数の物理専攻の大学院入学志願者にとって、在学中に数学者と華やかに切り結ぶ段階に至るという想定は、あまり現実的なものとは言いがたいです。
ただ、「数学者という生き物」を間近で観察する機会は IPMU ならば確かに多く得られます。その空気に触れることで何かを得る人もいれば、単に風景の一部ととらえる人もいるでしょう。
また、例外的に抜群の能力を示す若者は一定の頻度で現れ続けるということを我々教員はよく知っています。そういう場合には、適切に例外的対応をするだけの柔軟性が我々 Kavli IPMU の教員にはあると信じています。
弦理論分野の中で、数学に近い研究テーマをえらぶということ
いつか何かを書くかもしれません。
何を勉強しておけばいいですか?
「数学について最低限何を勉強しておくと叱られないですか?」というニュアンスで聞かれた場合には、「as much as you like」と応えています。もう少し付け加えるなら、「数学が好きな人は、「やめとけ」と他人から言われても、自分で勉強をすることをやめない。そういうものですよね」と。
「数学にもいろいろな subject があるけれど、何を勉強しておくと弦理論で役に立ちますか?」と聞かれた場合には、「自分の嗅覚を信じて、面白いと思うものを勉強すればよい。何らかの形でそれは将来役に立つから」と応えています。学部4年生なら、効率とか最適化とか、まだ考える段階ではないと私は思っています。また、研究は勉強と違って、過去の蓄積に対して最適化するのは間違いで、将来に対して最適化しないといけない。さらには、「自分の嗅覚だとか、自分が共鳴するか否かなどといった要素を大切にすることの積み重ねの先に、研究者としての独自性が生まれてくる」のだとも私は思っています。それらすべてが、安易に「XXを勉強しておくといいですよ」と私が勧めたりしない理由です。
ガイダンスになっていない? そうかもしれません。なのでもう少し細かいことを書いておきます。
数学の教科書を自習するのは、物理を自習するよりは明らかにラクです。数学は論理でひた押しにするしかないけれど、物理では、「論理としては怪しさが残るけれど実験結果を説明するのだからこれでいいのだ!」とか「可能性 A も可能性 B も論理的には自己整合的だけれど、自然界 (実験結果) は A を選んでいる」とかいう状況がたびたびあります。論理だけで閉じた世界ではないから、物理は自習が難しい。ただ、論理も実験も直観も近似もフル活用して前進する流儀は物理分野の特技でもあります。物理分野の若手は数学業界を垣間見て「きちんとして厳密」と考えていますが、逆側から見ると「物理の人は速い」のだそうです。それは知っておいてよいこと。ただ、あまりに物理の「総合的に見てだいたいこれでよし」という文化になじんでしまうと、数学の理詰めの世界に脳みそが耐えられなくなります。(**)
(**)数学は論理、というのもおそらくはひどい誤解なのだと私は思います。
まともな論理の運用ができなければもちろん数学の土俵に立てないのだけれど、その土俵に上がって何を得んとするするのかというのはまた別にあるはずです。論理だけが数学の研究の技術なわけでもありません。
物理学科の学生が数学を教科書で自習する場合、不足する可能性があるのは2点。数学科の学部カリキュラムのうち、「ゼミ」と「演習」に相当するものです。「ゼミ」では、教科書の行間の論理をきちっと整理して先生の前で発表し、つるし上げ的ツッコミを受けることで気分や雰囲気に頼らない論理組み立ての訓練を受ける。「演習」では、具体例の構成や計算によって一般理論を立体的に精密に理解する。
数学寄りの弦理論の研究をしたい院生で私が実質指導する場合には、この「演習」相当分の能力は、大学院入学時点でなくて大丈夫です。共同研究の議論の中で、「演習」相当のトレーニングが自然になされることになります。ただ、「ゼミ」相当の論理検討、論理構成の能力に関しては、ある程度の自主トレをしてきた学生さんを私は想定しています。数学の教科書を自習する際にある程度自主トレできる性質の能力ですし、また短時日に身につくものでもないからです。
自習に選ぶ subject や教科書は、上に書いたように自分の嗅覚で選べばよいと思います。ただ、ミニマムというべき内容が無いわけではありません。弦理論、数理物理、抽象一般場の理論、どの世界を選んで研究をするにせよ、
- 代数的トポロジーの入門的内容 (homology, cohomology, homotopy group, 完全系列 etc)
- vector bundle, 特性類
これくらいの内容はやっておいたほうがいいです。自分の嗅覚でえらぶ云々、というのはその先についての話です。
図書館の書棚の間を散策して嗅覚を働かせるのもよし、また、IPMU の山崎さんのページに、充実した
教科書ガイドがあります。また、何をどう勉強するという具体的な判断について参考意見を求めたい
のであれば、大学の先生は一般には冷たく袖にすることはあまりないのではないかと思います。
また、はっきりと「幾何が好きなんです」かつ「弦理論の数学寄りの研究をしたい」と言っている学生さんには、「代数幾何の入門的内容をやっておくと、弦理論の論文で読めるものが増えますよ」と私はアドバイスしています。どの本で勉強するのがいいですか? という質問には、やはり「自分の嗅覚で、自分のニーズと予備知識に合うものを」と答えます(私自身が勉強に使ったのは Shafarevich でしたが、とにかく自分に合うものをしっかり読むことが大事です)。 代数幾何について(数学者向けではなく)弦理論屋向けに書いた入門書をお求めの向きには、IPMU の院生向けに私が超ミニマムの講義をした際の ノートもある ことをお知らせしておきます。
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大学院卒業後の進路・素粒子理論のアカデミアでのキャリア
博士課程修了時点での進路選択
素粒子理論分野で教育・研究機関の職に就くには、通常は博士取得ののち、博士研究員(ポスドク)としての期間をいくらか過ごした後のことになります。大学院卒業後にポスドクとしてアカデミアにとどまることを選んだ場合のキャリアについては次の項に書き足します。博士を取得した段階でアカデミアを離れる判断をする院生の割合は、東大理学系の素粒子理論では、'00年代と '10年代の20年間を平均すると約半分です (同年代の学生間でキャリア判断に正の相関があり、短期的には割合は大きくゆらぎます)。
この項、以下すべて、私の周り半径10m(東大理学系の素粒子理論)での観察に基づく内容であることをお断りしておきます。
就職先の業種は、ご時世とともに少しずつ変わってきています。
民間シンクタンク、官公庁、メーカー研究部門、外資系金融、国産系金融、
コンサルティングファーム、IT ベンチャー、IT 大手、などなど。
元気に博士を取得するところまでいった人ならば、「素粒子理論の大学院博士課程なんかに行ったら就職先がない」という感覚は (よほど対人関係に困難を抱える場合を除けば) あまりありません。それは '00年代の初めからそうですし、さらに '10年代半ば以降は、産業界の博士取得者に対する偏見も緩和し、大学院での研究が企業での研究開発に直結するべきものという感覚も薄れてきた。また理論の院生の側も産業界で力を発揮することを消極的選択肢ととらえなくなってきた。そんな変化も肌で感じられます。
「博士終了時点で平均して半分くらいがアカデミアに残る」という統計には、東大の大学院を志望するする皆さんにとっては、少ない割合だなと感ぜられるかもしれません。ただ、この状況を「半分しかアカデミアに残れない厳しい世界だ」とか「アカデミアの職の倍も大学院に入学させている」とか読み解くと、いくらか現実との間に齟齬が生じる気がします。
素粒子理論の場合、海外の研究機関の職は全世界の人に開かれています。東大理学系の院生が全員学位取得後にアカデミアにとどまって研究を続ける判断をしたとしても、世界にはまだ大量にポスドクの職が余ります。ですから、世界は十分に大きな熱浴として扱って構いません。「ポスドクの職の絶対数が不足しているからアカデミアに残れない」のではないです。
大学院卒業の時点で27歳とか28歳とか。30歳が遠くない先にちらつきます。ポスドクとして研究を続けるならば、その残りが限られてきた若い時間とエネルギーを引き続き同系統の研究に注ぎこみ続けることになります。人生において学問やキャリアはすべてではありません。卒業がある程度具体的に視野に入ってきたら、自分の価値観を見つめなおし、人生の優先順位を考えることになります。その段階で見える景色は、22歳のときと違うこともあるでしょう。
同じ研究でも、アカデミアで理論の研究を続けるなら、それはプロスポーツ選手、個人事業主もしくは中小企業的な仕事のあり方になります (大学は教育に関しては大企業ですが)。大企業の研究部門の一員として働くのとどちらがいいか、というのはその人自身の価値観(人生設計)や得手不得手による話です。
また、ポスドクとして研究を続けていくうえで、「郷党朋友にとってキラキラした存在であり続けたい」「競争love」「大学の先生という社会的ステータスを手に入れたい」といった社会的な動機がどれくらいの比重を占めるかは人によるでしょうが、それだけでは心の支えとして辛いのではないだろうか。自分自身が (周りの評価とは独立に) 信念をもって熱くなれるテーマを持っているか、その世界で自分が違いを生み出せる未来を想像できるか、ということは大事な要素だと私は思います。そして、大学院の卒業が視野に入ってきた時期までにそのようなテーマが仄見えているかどうかは、ある程度運によるところがあります(研究の世界の避けがたい一側面です)。 (その時点で「ほの見えている」程度で十分いい線行っている、というのがこの分野の相場だと私は思います)
「素粒子物理、宇宙論、弦理論がだいたいどんなものか知りたい」という目的は、修士のうちか少なくとも博士課程の1年目くらいには達成されます。お勉強、知識欲自体が大学院入学の主要な目的であったなら、その時点でかなりの満足を覚えることになります。その先の研究はうまくできればいいなという願望にとどまる人と、その先の研究で何かを生み続けられるようになることを第一目標としてきた人とでは、おのずと大学院卒業後の進路に統計的な違いが出てきます。大学院入試の段階では、教員の側は誰がお勉強主目的なのかをほぼ判断できませんし、入試出願者の側自身が、必ずしもお勉強と研究を別物として考えているわけでもないこともあります。
また、入試で見ているのは、研究をやっていく上で大事な資質・能力のうちのごく一部でしかないのも事実です。たとえるなら、飛行機のエンジンの出力試験だけをやっている感じ。主翼の設計図も見ていないし、昇降舵の操作試験もしていない。理論物理の研究の前線は学部4年だとまだ1年は先ですから、勉強ではなく研究にかかわる資質を入試選抜にどう取り入れたらいいのか、教員の側としてもいいアイディアがないのです。エンジン出力以外の要素を調整して「飛べる」ようにするのが教育機関たる大学院の本分なのですが、肝心のご本人がエンジンに燃料をたくさんつっこむことしか考えていない、というのもよくある話です。
大学院卒業時点で約半数がアカデミアを離れることを選ぶという統計の背後にあるいろいろな事情のうちいくつかを、私の見方で書いてみました。他の方はまた別の見方をなさるかもしれません。
若手がどのようなキャリア判断をするのであれ、それは簡単な判断であるはずがない。私はその判断を尊重して、I wish you good luck と言って送り出すようにしています。
博士研究員(ポスドク)
素粒子理論分野の場合、博士取得後すぐに大学や研究機関の教員の職に就くことは稀です。博士研究員という職は通常3年(主に北米)か2年(主に欧州)の契約です。某大学XX研究室に所属して通常の社会人なみのお給料をもらい、自分の好きなように研究をやる。授業をするような義務は(たいてい)ない。この夢みたいな職種の代償は、3年や2年の雇用契約に延長オプションがないことです。なので、博士研究員の契約最終年に入ると、他大学の博士研究員のポストに応募して、契約終了とともに次の大学に移籍することになります。
この博士研究員のお給料、財源は公的研究費がある程度の割合を占めます。そういった研究費の申請の際、教員は「△△の研究をやって、□□の成果を出します」という申請書を書いて研究費を獲得するのですが、その研究費で雇用した博士研究員に対し、素粒子理論分野では必ずしも△△の研究をやれとは言いません。自由に自分の信じる研究をやってくれ(申請書との辻褄合わせはこちらでひっかぶるから)、と教員はやせ我慢しながら言います(例外はあるでしょう)。自分が若いころに与えられた自由を、次世代の若者にお返しするのは当たり前のことですから。そういう文化を素粒子理論分野は維持しています。
博士研究員になる段階である程度研究の実務をこなせるようになっていることが多いですが、それは研究者としての完成形に達したということとは全く違います。自分の才覚でテーマを設定して自分の責任で研究プロジェクトを管理運営する。知的活動によって価値を生み出す過程に様々な形や手法があることを知る。日常の自分の無意識の思考回路、行動様式、不作為などがありとあらゆる形で知的価値生産活動を損なっていることを知る。自分の長所と限界を知り、自分向きの長期テーマや研究手法を探り当てる。独立した理論の研究者としてやっていくために避けて通ることはできないプロセスです。素粒子理論分野の場合、大学院生のうちにそこまで達している人はごく稀ですから、博士研究員という職と経験を教員ポストを得るまでのやむを得ないつなぎ期間とのみ考えるのは見当違いだと私は思います。
研究というものの性質上、成果はやってみないとわからないことがよくあります。どんな成果が出るか最初から完全にわかっているなら、それは研究というより作業に近いですから。博士研究員の間は、この研究につきもののリスクを引き受けるのは自分だけで済みます。自分のキャリアを賭けて勝負するのはなかなかにスリリングで、この期間に勝負した分だけ度胸とリスク管理が身に付きます。教員になったら、学生を道連れにして研究というリスクを冒さねばなりません。自分のキャリアを賭けた勝負ができなかったら、他人を道連れにするリスクなんて怖くて絶対無理、というのが私の感想です。
なお、日本の政府によって運営されている制度で RPD (restart ポスドク) というものがあります。出産 and/or 育児によって一時キャリアを中断した若手研究者が応募できる博士研究員のポストです。(公式ページを見る限り応募者の性別に制限はないように見えますがその理解でいいのかな?) RPD の任期は3年ですが、その後にキャリアの中断が生じた場合にはもう一回応募できる (かつ、それを複数回繰り返すことが可能な) ようです。素粒子理論分野の場合、一つの論文にまとめる研究プロジェクトに1年以上かけることはかなり稀です。ですので、その3年任期の間に研究を軌道に乗せて目に見える成果を出すことが、他の(data taking に時間がかかるような) 分野に比べて容易かもしれません。(これは当分野の宣伝です)
どこまでリスクをとるか
博士研究員の契約を何期か(何か所かの大学で)積むうちに、教員ポストを求めるかアカデミアの外の就職口を求めるか、とにかく身を"固める"のが通例です。そのころには出身大学院を離れて何年か経っていることもあり、とくに誰からも進路指導を受けないことが素粒子理論分野ではよくあります。そもそも本人の自主自由をとても大事にする分野ですから(自分から周りに相談をかければいいのですが)。それが時にはズルズルとアカデミアで時を過ごし、、、、という結果につながることもあります。
私が私の周りの若手につぶやいているメッセージは、こんな感じです。
- 「リスクを引き受けるのは自分自身であり、果実を受け取るのも自分。自分の価値観とよーく相談して判断をしよう。」
- 「判断は節目ごとにすればよい。博士取得時、博士研究員の契約更新時など。それ以外の時期に悩んで鬱々とするのは非生産的。節目までの間は、自分自身を知的価値生産者として成長させることに全力をあげるのが生産的かつ合理的なはず。(専門知識の積みまし以外に成長余地が残っていないなら別ですが)」
- 「キャリアの段階を進むごとに自分の成長曲線はだんだん誤差棒が縮んで精度よく見えてくる。そうなれば、その成長曲線の将来予測から自分のリスクの度合いも判断できるだろう。」
- 「社会経済の状況は外生条件。その条件の中で、自分の価値判断に沿うようプレイしよう。社会を恨んでも短期的には不毛。」
- 「人それぞれに point of no return がある。そこを過ぎてアカデミアにとどまったら、自分の価値観にあう就職口がアカデミアの外にほとんど無くなる段階。その point of no return は人それぞれ。価値観も民間労働市場での市場価値もその時期の雇用情勢も人によるから。でも、自分自身の point of no return を見誤らなかったら、キャリアをひどく誤ることはないはずです。」
など。ごく当たり前のことであり、かつ私自身が大学院最終年や博士研究員だった時期に自分に言い聞かせていたことそのものです。それを、押し付けにならぬよう控えめに remind する感じです。悲観に傾きすぎる若手と現実否認に傾く若手とでは、このうち違う部分集合をつぶやくのですが。これら(大学院出願者むけとはいいがたい内容)をここに書いておいたのは、的確なリスクテイクを心がければいいのだというメッセージを伝えたいからです。