うちの大学院へ進学を考えているみなさんへ
進学説明会等でよく聞かれた質問とその返答をまとめておきました。一応以下の通りです。(2024/6/10 更新)
下を読んで、質問がある人はメールしてください。また、20代半ばの数年を大学院へ入って研究する、というのは、あなたが思っているより重大なことかもしれません。素粒子論を自分の専門にするかに関しては、田崎さんが以前とてもまっとうなことを書いていらしたので、それを読むのをお勧めします。また、数学者の Terry Tao が、学問をする上での助言をいろいろ書いています。そこにあることは、理論物理をやる際もあてはまることだと思いますから、暇なときに眺めてみるのもよいでしょう。また、研究と勉強ってどう違うのか、としばしば聞かれましたので、こういう文章も書きました。
僕の研究について
- 所属はどこですか。
- 東大柏の IPMU です。学生さんは修士一年の夏学期ぐらいは本郷で講義をとらないといけませんが、修士一年の冬ぐらいから徐々に柏に移って、残りはほぼ柏にいてもらいます。都会生まれの人には何もない所ですが、僕のような都市郊外生まれには空が広く空き地があってのびのびしたところです。
- 専門は何ですか。
- 超弦理論、場の量子論とその数理的側面を研究しています。概要を知るには以前僕が京大でやったコロキウムをみていただくのが一番わかりやすいとおもいます。
その他、弦理論の研究にどんなものがあるか昔おおざっぱに書いたものもあります。
昔やっていた話ですが、2015年ごろやっていた話に関しては意欲的な四年生、修士一年生なら読めるように書いたつもりの講義録がありますので、それを読んでみるのもよいでしょう。
二頁目からは日本語です。
さらに、以前の研究内容の思い出話や、過去の主要なセミナーおよび講演の発表ファイルおよび録画一覧等もあります。
「場の量子論と数学」という非専門家向け記事も書きました。
- 素粒子理論の中でも数学に近いことをやっていると聞きましたが。
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その通りです。数学のいろいろな分野を場合に応じて使います。しかし、場の量子論を数学的に厳密にやっているわけではなく、場の量子論の教科書や論文の数学的にいい加減なところを1行1行厳密に追っていくとかいうわけではありません。厳密な場の量子論というのも世の中では研究されていますが、今のところ厳密化されているのは、物理のほうでは30年ほど前になされたところが出来ているかいないかという状態です。うちの研究室では、202x年の場の量子論の理解に皆さんに至ってほしいなあと思っています。
- 立川さんはどういう経緯でこの分野を専門に選んだのでしょうか?
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昔のことで良く覚えていませんが、高校生のころに「数学セミナー」誌でザイバーグ・ウィッテン理論というものが素粒子論から現れて微分幾何学を一新しつつあるという話を読んで、そういう研究をしたいと思ったのだった気がします。
そのためには数学側で研究するか物理側で研究するかを決めないといけませんが、僕はあまり論証を厳密にすることに興味がなかったのと、物理の実験も案外好きだったので、物理のほうをやることに決めました。
(物理学科四年の秋学期には最近亡くなった駒宮先生のところに配属されてこんなことをやったりしました。実験が専門のかたにはお遊びのようなものですが。)
また、院生ごろまでどういう勉強をしたかについては、長くなったのでこちらに別個の記事を書きました。
素論チャンネルさんによるインタビューも YouTube にでています(前半、後半)。
- 最近は特にどんなことを研究していますか?
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この項目を書いているのは2024年ですが、主に場の量子論および弦理論のトポロジカルな性質を調べています。もう少し具体的に例をいくつかあげますと:
- ひとつは場の理論の対称性の量子異常(anomaly)について調べています。
量子異常というのは、系がある対称性で不変ではないのだけれども不変でない具合が場の理論のトポロジカルな性質として厳密に決定可能だという状況です。
量子異常が連続的な場合は古くは1980年代に確立していた話ですが、2010年代初頭の物性理論におけるトポロジカル物性の研究から、量子異常が離散的な場合にも2010年代後半になって一般論が出来、さらに詳細な解析が出来るようになりました。
それを利用して、いろいろな系を解析しています。
- もうひとつは対称性の概念のいろいろな一般化です。普通の対称性は群で記述され、たとえば $g^2=1$ などという関係式を満たしますが、さらに $D$ という対称性操作で $D^2=1+g$ という関係式を満たすことを考えてもよいです。こうなるともはや群ではなく、$D$ には逆元が存在しません。
二次元のイジング模型にはこういう群でない対称性が存在することが百年ぐらいまえから知られていますが、ここ十年弱ほどでこういう群を拡張したような対称性をもつ系が沢山あることがわかってきました。
こちらも調べることが沢山あります。
- また、僕の研究人生の前半では主に超対称場の理論を調べていましたが、今でもしばしば考えます。
超対称性は交換関係が基礎になるボゾンと反交換関係が基礎になるフェルミオンを入れ替えるもので、超対称性がある理論は超対称性が無い理論よりも解析が簡単になる傾向があり、紙と鉛筆と数式処理ソフト程度で厳密な答えが得られたり、数学とのいろいろな関係が現れたりするという、興味の尽きないものです。
- 物性理論と素粒子論/弦理論が関係あるのでしょうか? 全然別物だと思っていました。
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理論物理には一般に「調べる対象」と「調べる手法」があります。物性理論と素粒子論では調べる対象は異なりますが、調べる手法としては場の量子論が共通して使われます。
近年では、物性理論でも特にトポロジカル物性に関する分野で使われる場の理論の手法と、僕のやるような弦理論/場の理論で使う手法はほとんど区別がなく、むしろ素粒子現象論で使う場の理論の手法のほうが遠いぐらいです。
そういうわけで、物性理論の研究グループと IPMU の弦理論グループで合同でポスドクを雇って、そのポスドクの方は他の物性理論の方とも共著論文を書くし、僕とも弦理論の論文を書く、ということもあるぐらいです。
- さらに具体的な研究テーマはどうやって選んでいるのでしょうか?
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研究者のなかには信念を持ってそれを達成すべく研究している人もいらっしゃるようですが、僕は案外いきあたりばったりに、偶然そのとき興味をもったものを研究しています。
僕のいきあたりばったり加減は以前の研究内容の思い出話をご覧くださればよくわかると思います。
2014年から五年ぐらいやっていた六次元超共形場理論の話は、その時の修士一年の人が当時出たばかりのとある論文を勉強してみたい、というので、もうひとり当時修士二年の学生さんと一緒に読みはじめたところからはじまったものに触発されてはじまったものでしたし、2020年からやっている位相的モジュラー形式とヘテロ弦理論の話は、コロナ直前の研究所のお茶の時間にやはり当時の学生さんから受けた質問について考えはじめたことに基づくものです。
院生としての研究テーマの選び方について
- 素粒子理論の中で特に〜〜〜をやりたいのですが。
- 〜〜〜にはこれまでループ量子重力、場の量子論の数学的厳密化、超弦理論の物性への応用、等いろいろありました。やりたいことが既にはっきりしているのはいいことだと思います。そういう場合は、その〜〜〜を日本で/世界で一番専門にしている研究者のいる大学院に進むことをお勧めします。自分が既にいる大学の大学院にあがるとか、日本人だから日本の大学がいいとか、そういうことは忘れてください。誰が一番専門かはなかなかわかりづらいでしょうが、質問してくれれば紹介します。また、90年代半ば以降の論文やレビューはすべて arxiv というところで無料で読めますので、そういうところで調べてみてください。
- 素粒子論はやりたいのですが、その中で特に何をやりたいかまだわかりません。現象論と弦理論と、どちらが向いているでしょうか?
- 自分のやったことを自分の人生の間に実験で確認してほしければ現象論を、自分のやったことが自分の人生の間に実験で確認してほしいという欲望がなければ弦理論をやればいいのではないかと思います。
- 素粒子論はやりたいのですが、その中で特に何をやりたいかまだわかりません。修士に入る際の指導教員の選択は後に変えられるのでしょうか。
- 書類上の指導教員と、実質上の指導教員が違うことはしばしばあります。実質上の指導教員はポスドクだったり助教だったりすることもしばしばです。あなたが研究したいことが決まり、意欲と能力があれば、大学院の仕組みは十分融通が利くはずですので、そういう手続き的なことはそれほど気にしないことです。
- では、書類上の指導教員の選択は気にしないでいいのでしょうか。
- これまでの実例を見ますと、大抵の場合は、素粒子理論の中でも、指導教員のこれまでやっていたテーマに近いことを院生の間は研究して、ポスドクになってもはじめの数年はそれをする、ということが多いです。また、学生さんが無事卒業できるように研究指導をする責任は主に書類上の指導教員に生じます。ですから、やはり、素粒子理論、弦理論の中でもどんなことがやりたいか、誰が何をやっているか調べて、自分が好きなことにもっとも近い指導教員を選ぶのがいいと思います。
そのためにも、わからないなりに、指導教員として考えている人のここ数年の論文のアブストラクトだけでも読んでみようとするのは良いことではないかなと思います。
- また、海外の大学院へ進学するのと比べるとどうでしょう。
- 素粒子理論に関しては日本の大学院の質は海外の良い大学院に比較して遜色がないと思います。
また、素粒子理論の場合は、日本で博士号を取ったとしても、どうせ数年は海外でポスドクをすることになります。ですから、結局は、院生の段階から海外に行くか、ポスドクの段階から海外へ行くかの選択です。
とはいうものの、アメリカ等の大学院では、入試に日本の大学院入試のようなペーパーテストがなかったり、院に入った段階では物理学科に入るだけで、その後数年で指導教員が決まるという形をとったり、この分野の大学院ですと入学の際に生活のための給与が何らかの形で保証されることが多いなど、仕組み上の違いも沢山あります。
自分にとって日本の大学院と海外の大学院とどちらがよさそうか、考えてみるのは良いことだと思います。
院生としての研究生活について
- 大学院に入るとどんな生活になりますか。
- はじめの一年はとりあえず単位を取らないと行けないのでいくつか講義に出てもらいます。また、学生の皆さんで輪講をして場の理論、弦理論の基礎を学んでもらいます。
学生さんの輪講は、本郷と柏の素粒子論の学生さんが集まって合同で行うことが多いです。
その際につかう教科書は、学生さんの参加者と、出席する教員との相談で決めますので場合によります。
弦理論のコミュニティは世界に広がっていて、最新の研究結果は平日毎朝 arXiv に投稿されるので、それを確認するのも日課ですが、はじめのうちはむずかしいです。
修士一年の目標としては、毎日の新着論文のアブストラクトを眺めて、どの論文が自分には面白そうでどの論文が自分にはあまり興味が無いかというのがわかるようになる、というところでしょうか。
修士二年ぐらいからは徐々に研究にうつりたいところです。学生さん自身がこれをやりたい!というテーマがあれば、それにそって何か、また、そうでなければ、僕の手持ちのテーマで何か学生さんの趣味にあうものを探して、それについて一緒に考えます。
研究が順調にまわるようになるまでは、それぞれの学生さんと一週間に一回、一時間程度時間をとって、進展があってもなくてもざっくばらんに議論をする機会をとるようにしています。
共同研究が順調に回るようになれば、そうやって時間を設定しなくても、随時必要なときに議論をすすめていけるようになると思います。
- 大学院の間に数学も場の量子論/弦理論もやりたいのですが。
- 数学者としても弦理論屋としても振舞える人は業界で現時点でふたりだけです。一人は Witten 先生です。もうひとりは Dave Morrison 先生で、ミラー対称性等で著名な業績がありますが、彼ですら数学の博士号を取ってポスドクになってから、弦理論を学びました。勿論あなたが三人目になる可能性もありますが、あなたがその三人目である確率は低いでしょう。覚悟を決めて、大学院の間は弦理論屋になるか数学者になるかのどちらかにすることをお薦めします。
- 大学院に入る迄に何をどこまで勉強しておけばいいでしょうか。
- 別に大学院に入ってくれたからといって積極的にこちらから何かを教えるわけではなく、学生のあなたが積極的に勉強、研究するわけです。ですから、特に何をどこまで勉強しておかないと困るということは無いですし、何をどこまで勉強しておいたから困らないということもないです。とはいうものの、場の理論の勉強は奥が深いですから、場の理論の教科書を読みはじめておくのは悪いことではないでしょう。また、いろいろ焦って先のことを勉強するのも悪くは無いですが、基本的なことをきちんとできることも同様に重要です。教科書の文面を読んで判った気になっても、実際判っているのとは大きく違いがありますから、演習問題が載っているならきちんと解くなり、自分で適用例を考えるなりしておくのは良いことだと思います。知ったかぶりが一番いけません。
- 場の理論、弦理論では数学がいろいろ必要だと聞きますが、何をどれくらい勉強しておけばいいですか。
- 場の理論、弦理論で必要になる数学はいろいろありますが、具体的に何をするかに非常に依存します。また、ある分野 X を使うからといって、その分野 X を数学で専攻する人用の教科書を買って真面目に読んでも強調すべき部分が違ってきたりします。ですから、場の理論、弦理論の勉強を主にして、必要になった時点で必要な数学はその場で何でも勉強するようにしたほうが良いと思います。
- 弦理論の研究は紙と鉛筆なのでしょうか。パソコンは苦手なのですが。
- 紙と鉛筆で出来るところもありますが、パソコンで数式処理が出来るようになると研究範囲が広がります。僕はこういう途中結果をつかって計算することがありました。また、超弦理論でもスパコンを使って大規模なシミュレーションをする研究になることもあります。一方で紙と鉛筆でしか出来ないこともあります。どれが必要かは、弦理論の中でもどういう研究をするかに依ります。ですから、必要になった時点で、必要な計算手法は手であれパソコンであれその場で何でも勉強するようにしたほうが良いとおもいます。論文を書くのは TeX というのを使ってパソコンで書いてもらわないといけません。
- IPMU で院生をするとなると英語は必須でしょうか、英語は自信がないのですが。
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指導教員が日本語を解さない場合は英語は必須でしょう。僕が指導教員の場合は僕との議論は日本語で大丈夫です。
学生さんの間でのゼミ、輪講が何語になるかは場合によります。同期の学生さんが日本語を解さない場合もありますので、その場合は英語は必須になります。
修士論文は日本語でも良いですし、実際に日本語のケースもよくあります。博士論文は英語で書いてもらいたいと思っています。
なんにせよ、日本人はどんどん減っていきますので、院生としての暮らしとは独立の問題として、英語(か中国語?)を勉強しておくのは将来のためになるのではないかと思います。
- 学費はどうでしょう。
- 理学系物理学専攻のページを参考にしてください。学術振興会の特別研究員、もしくは学内の卓越大学院等に(運と実力に恵まれて)選ばれれば、お給金を貰うことになります。
- 大学院入試では〜〜〜でしょうか。
- 日本の大学院の仕組み上、院試に通ってもらわないといけないのは仕方ありませんが、通ってしまえば忘れてしまって思い出すこともないことです。あまり気にしないようにしてください。
- 博士号をとったあとも弦理論の研究をつづける人はどれくらいいますか。
- IPMU ではこれまで十年ぐらいはごく一部の方を除いて弦理論を離れて就職しています。
こちらにも書きましたが、数理的な能力に長けている人は最近は社会からもとても求められているようで、弦理論で博士号をきちんと取れるような方で、アカデミア外に就職先が無くて途方に暮れているというケースは稀だと思います。
身の回りでは金融、IT 系が多いです。科学系出版社、アニメ業界、コメディアン等もあります。
僕の知っている変な例をあつめたページもあります。
弦理論をやりたい、という気持ちよりも、博士号取得後も(物理、数学の)何らかの分野での研究者としてやっていきたい、という気持ちが強いならば、もうちょっと流行りの分野を選んだほうが可能性が高まるだろうということは気に留めておいてください。
- 大学院を出て研究者をはじめるとどんな生活になりますか。
- 普通はしばらくポスドクといって三年もしくは二年の期限付き研究員を何回かやります。僕は五年やりました。ポスドクの間は、期限付きのかわりに、何も義務がなく、研究を好きなだけしていればよいことが多いです。ポスドクは日本国内だったり、アメリカだったり、インドだったり、世界各国を渡り歩きます。そうして、助教職等に応募することになります。